コミケ行って来ました。
実際会場に行ったのは半分手伝いで二日目だけですが、なかなか満喫できました。
普段の交流はほとんどなくなってしまった友人と会う機会でもありますしね。
そして、この歳になると良く上がる話題は、簡潔にしてしまえば「あの頃(昔)は楽しかったなぁ」というヤツです。
なんともはや、昔から見てきた30代に自分もやっぱりなるんですね。
「あの頃は楽しかった」っていう気持ちは誰でもあることだと思いますが、なぜそのように感じるのでしょうかね。
一つには、当時の苦しい事は忘れてしまって都合の良い部分だけが思い出される、「隣の芝は青い」の年代違いバージョンみたいなのもあると思います。
あの頃はあの頃なりに大変だったし嫌なこともあったはずですが、苦しみが終わった今となっては楽しかったことばかりが思い出されるものです。
しかしそれを差し引いてもやっぱり楽しかったと思うんですよね。
意味もなく何か作ったり、何の役にも立たないのに変なこと練習してみたり。
一生懸命になるってのは楽しいことです。
楽しいから一生懸命になるとも言えます。
その楽しい理由は、若さには可能性があるからなんですよね。
厳密に言えば大抵の場合、そのとき一生懸命になるものに対してなんらかの出口が見つかる可能性なんてほとんど無いんですが、そのときはそれが分かってないから楽しいのです。
言い換えれば先が分からないから楽しいんです。
しかし、どんな事も、いつまでも楽しいってのは難しいです。
だんだん学習してきて「どうせそんなのxxなんだろう」「自分が頑張ってもたいした結果は出せない」ってのが分かってきてしまいます。
そのような「結果を想像する力」ってのもだんだん身についてきて、未だやった事の無い事ですら結果が予測できるようになります。
この能力は物事をきちんと進めること、特に仕事を進めるに当たってはとても重要なことです。
だから普通の人はこの能力をだんだん身に着けていくはず。
先を予測する「結果を想像する力」というのは何かを成し遂げるために重要な能力です。
仕事ではそれで良いんですが、趣味の楽しみという点ではやっぱり悪影響もありますよね。
趣味なんて考え方によっては結局「やらなくても良いこと」だからです。
あんまり先を見てしまったら楽しさなんてあり得ません。
この「先の事を考えて想像する能力」の使用・不使用をうまく切り替えられたら楽しく人生を過ごせるかもしれませんよね。
その辺りを考えながら今後の趣味の活動を頑張ろうと思います。
何にも知らない人からは「君は好きなことやって楽しそうでいいよね」なんて言われたりしますが、けっこう悩みはあるんですよ。これはこれで。