自分の意見を述べているつもりでも、それはどこかの本に書いてあった内容だったりする、なんてことはよくあることです。
自分に都合の良い他人の意見は心地よいものなので、そういう記事や本などの情報は好んで取り込んでしまいます。
そのような情報には優れた「正論」が書いてあり、感化され、より確証を持ちます。
自分の意見はやっぱり正しい。
でもこんなのはなんとなく自分の意見ではないような気がします。
いやしかし、情報を選んだのは自分なんだから、やっぱり自分の意見なのかもしれません。
逆に、こういうプロセスを通らずゼロから考えた意見は穴が多くて幼稚なものだったりすることもよくあります。
じゃあ、どうしたらいいのかなーと考えるとやっぱり不快でも反対意見にも”敵対心を持たずに受け入れる気持ちで”耳を傾けないといけないんでしょうねえ・・・。
・・・特に結論はない話なんですが。
同じことをよく思います。<br>同じことを考えてくれる人がいるという安心感がある反面、アイデンティティーの危機を感じることすらあります(ちょっと大げさですがw)。<br><br>反対意見を柔軟にストレスなく受け入れられる人が稀にいますが、とてもうらやましく思います。
yancyaさん>><br>>アイデンティティーの危機を感じる<br>あー、まさにそんな気分になるときはありますね。<br>発言してから1年たって見返しても恥ずかしくない意見をさらっと言えるようになりたいもんです・・