松本零士さんに取材した気になった記事があったのでご紹介。
記事の内容は著作権保護期間延長にからむものだと思うが、どうも心配な気分になる記事だった。
参考:■【知はうごく】著作権攻防(4) 【SankeiWeb】
著作権保護機関の延長については当然ながら賛成、反対それぞれの意見があり僕としては反対派なのだが、それはおいといて。
僕は松本零士さんの「銀河鉄道999」を始めとする作品はとても好きなのだが、一方で松本零士さんの自分の著作権範囲を広く主張する傾向があってなんだかな、とも思っている。
槇原敬之の「約束の場所」事件なんかが目新しいと思う。(なお、槇原敬之=覚せい剤取締法違反で逮捕暦有り は大嫌いなので庇いたい気持ちは一切ない)
知らない人のために簡単に解説すると、「約束の場所」の歌詞の一部、
「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」
というフレーズが、銀河鉄道999に出てくる、
「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」
という1フレーズからの盗作だと松本零士氏が主張したという出来事のこと。
短い文章なので偶然の一致なのかもしれないし、全体を比較すると参考にしたことは間違いないという意見もある。
その真相のほどはここでは問題ではないので置いておく。
さきほどの記事に戻って内容をみてみると次のような発言がある。
>「著作権で保護されることが、家族や子孫がある自分自身の精神的な安らぎにもなり、創作意欲にもつながる。ある有名な作家のご遺族から、『私のところの著作権はもうすぐ切れます』と涙ぐまれたことがある。それが、いずれ自分の子孫にも訪れると思うと、どれほど切ないか。(以下略)
この発言は何がいいたいのか、正直なところ「頭大丈夫か?」と疑ってしまった。
自分の親(兄弟かもしれない)が死んで50年もたって、まだその人の著作権で怠惰な生活を送りたいのか、いつまで既得権を主張するつもりなのかと勘ぐってしまくらいだ。
もちろん好意的にとれば「故人を惜しんで悲しい」という事なのだろうが。
現在の法律では著作権は著作者の死後50年で消滅する。著作権というのは著作物によって利益を得るための権利であって、もちろんその作品を著作者が創ったという事実が消えるわけではない。
僕は、「著作物は人類共有の財産である」と思う。(というか法律の趣旨もそうなのだが)
だから50年たったらみんなで利用しよう、というのが著作権法の趣旨なのだ。
なぜ本人以外の一部の人に未来永劫利権を占有されなければならないのか。
創作は過去の著作物の上に成り立つものだ。
ある日突然何もないところから「銀河鉄道999」を書けたはずがない。
だいたい銀河鉄道という言葉は「銀河鉄道の夜」(宮沢賢治)から拝借したことは誰の目にみても明らかだろう。違うと言ったって真偽の確かめようは無いが。
自分の死後70年とか120年も子孫に利益を世襲させたいという考え方はどうにも醜く見える。
好きな作家だった松本零士さんが、気づけば新しい作品を書くことも減り、ただ権利だけを主張して利権を貪る人間になってしまったかのように見えて悲しかった。
「作者の心情や遺族の思いを大事にしてもらいたい」というのは理解できるが、50年で十分なのでは? 有名作家本人は立派だと思うが、その遺族であることがそんなに立派か?
「銀河鉄道999」の感動を返してほしい気分だ。
鉄郎は貧乏でも自分の力であれだけがんばっていたのにな。
全く残すなとは言わない。50年が適当だと思うってこと。
余談だが、著作権にも相続税はかかる。
仮に著作権を未来永劫認めるならば、相続税もとんでもない額にしなければならないはずであろう。日本人全体の富を一部の人たちが消費するだけのような構造だけは絶対に作ってはいけない。
50年間も不労所得を得る人間がいるだけでも問題だと思うのだが。
おなじく延長反対です。public domain(共有財)ということの意味をみんな見失っていると思いますねぇ……。個人的には50年ですから長すぎると思う。
結局それぞれの事情次第なんですよねえ。<br>なので場合ごとに意見は分かれると思うのですが、著作物の共有化という観点からできるだけ短くしたほうが良いと考える派です。
私は反対意見です。前後の配列を逆にしただけで、偶然の一致と呼ぶにはあまりに似過ぎていると思います。999のエターナルファンタジーは映画化もされている作品であり、槙原さんの目に触れたことが無いと実証するのは困難だと思います。むしろ盗作を認めないことの方が空々しいです。松本氏は自身の作品であっても、キャプテン・ハーロックをスマスマのコントに用いたり、自身が出演することもあるなど、きちんと筋を通せば広く作品の引用には応えています。さっさと非を認めて謝罪すべきだと思いますよ
ジロウさんご意見ありがとうございます>><br>確かにかなり似ていますよね。<br>自分がその立場だったら疑うと思います。<br>しかし、逆に疑う立場を見たときにも「絶対」と言い切れないところが難しいところですね。<br>僕としては2フレーズくらいの偶然は絶対黒と言い切れるほどではないと考えます。<br>・・・知ってて参考にした確率のほうが高いのではないか? と言われればYesかもしれません。
(つづき)事実としては参考にした(盗作した)可能性が高いが、もしかしたら、万が一、違うかもしれない というのが私の考えです。<br>もし違ったとしたら盗作の冤罪を着せられた人の悔しさはものすごい事で、やはり「疑わしきは罰せず」の原則が適用されるべき事例ではないでしょうか。